結論から言うと、子どもの性格を形成しているのは親の育て方で、
親の育て方でいじめられているのに学校に行ける子と行けない子が分かれる。
男だったら暴力だったり、女だったら無視だったり。
いじめは確かに嫌だし、いじめはほとんどの人間が大なり小なり経験して、
そのいじめに立ち向かう者、耐える者、逃げる者、がいる。
他の声で
「本人の性質は大前提であるとして(悪意に鈍感な子もいるから)1番は親が誰よりも子どもの味方であることが子どもに伝わり切っているか否かだと思う。学校に行けるから強い子ではないのである。」
というのをいただいた。
最初と最後は同意だけど、真ん中の"親が誰よりも子どもの味方であることが子どもに伝わり切っているか否か"ここが個人的に違う気がする。
子どものいじめ問題に対して親が介入する隙がない。
例えば親は子どもがいじめられたら何ができるか?
A、学校に連絡する?→学校がいじめられている子を助ける保証はない
B、いじめっ子の親に連絡する?→いじめが悪化する可能性がある
C、学校に行かなくていいよ→子どもの将来はどうなる?
D、いいから学校に行け!→子どもが自殺してもいいの?
ちなみに自分とこの親はDだった。
というか、昔の家庭はDの家が多かったと思う。
結局のところ、親は子どもがいじめられた時の対処法を知らないのだ。
仮に絶対いじめられないような良い性格の子に育ったとしてもいじめられない保証はない。
逆に「できるやつだから気に食わない」という理由でいじめられるケースもある。
そしてそんな子ほど社会に出たら苦労したりもする。
子どもの性格というのは(障害が無い限り)親の育て方と環境で決まる。
もし子どもが変な性格になったとしても、それは子どもがそうなりたくてなったわけではない。
そしてそれを認めない親が星の数ほどいる。
要は、子どもの育て方がわからないのだ。
育て方をロクに勉強もしない、勉強の仕方もわからない。
自分の中で子育ての正解を作り出して子どもに強要する。
そして子どもの性格が形成される。
子どもを殺人犯に育てた親たちは自分の子育てに絶対的な自信があった。
もちろん殺人鬼に育てるつもりは毛頭なかったはずなのに殺人鬼になった。
話を戻す。
自分は小・中・高校といじめられていたが、それでも自分は通い続けた。
思えばなんで通い続ける事ができたか。
家も学校も嫌だった。
どこにも居場所なんかなくてただ家と学校を往復しながら放浪していた感覚に近い。
だから高校卒業したらすぐに家を飛び出して一人暮らしを始めたのもある。
ただ何よりも考えていたことは、
学校にまで行かなくなったら本当に将来が無いと悟っていたからだ。
学校を中退した後の人生が当たり前に未来が無いことは分かっていた。
結局耐えるしかなかった。
耐えながらも必死で考えた。
なんで自分はいじめられるんだろう?
そこで初めていじめられる理由と立ち向かった。
その結果、少しずつ自分の性格が変わっていった。
結局自殺はしなかった。
というよりできなかった。
死ぬのが怖い。
だから今も生きている。
自殺は勇気じゃない。
ただし自由でもない。
それぐらい人生に価値は無い。