無駄な事を頑張る意味

人生の中で、頑張っていたことが無駄に終わることはよくある事だと思う。

「無駄だ」と思う瞬間というのは、やはり結果的に叶わなかった時だと思う。

 

例えば、保育士を目指している人がいたとする。

学校で養護施設等のキツい実習を受けたり、たくさん勉強したりして、

やっとの思いで保育士になれたとしても、

もしその保育所を従業員の人間関係とかで辞めてしまって、

その後、保育士とは無縁の仕事に就いた人生を送ったとしたら、

 

はたして保育士になるために頑張ったあの時間は無駄だったのか?

 

人生とは、この「無駄な事を頑張る」連続だと思う。

 

逆に、「あっこれは無駄な事だ」と思った瞬間、人生は下降しやすい。

 

例えば、学校の勉強。

数学や歴史を習っても、

「二次関数なんて社会に出ても使わねぇよ」

「徳川将軍なんて全部覚えても社会じゃ役に立たねぇよ」

正直、この思いは正しい。

ただし、そう思ってしまうと、とたんに勉強する気が失せる。

テストの結果も当然よくない。

世の中は低学歴の人間ができる仕事は少なく生きづらい。

 

結局、生きやすくするためには(無駄な)勉強をするしかない。

 

もちろん逆に勉強が無駄じゃないケースもある。

教師や塾講師や家庭教師になって子どもたちに教えてあげることで無駄だと思われてた勉強を無駄に終わらせない事だってできる。

 

つまり、自分が勝手に無駄だと思っている事は、本当に無駄に終わるかどうかなんて、わからない、自分も、他人も。

 

仮に今やっている事が無駄に終わったとしても、また新しく別のことを始めればいい。

ひょっとしたら、過去にやってきた"無駄な事"が活かされて報われる時がいつかあるかもしれないから。

 

 

無駄な事を頑張る力。

生きていく上で絶対に必要な力だと思う。

 

 

だって、

死という最期のイベントの前では、生きる上で頑張ってきた全ての事は無駄に等しいのだから。

 

だから、「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉をなめてはいけない。

かといって嫌いになってもいけない。

 

死ぬまで頑張って生きてみるよ。

それが死の恐怖から逃れる唯一の術。