昔、年上の女性に言われたことがある。
「自分の性格は変えられない」と。
最初から変える気が無いようにも聞こえる気もするが…
ちなみに俺は16歳を機に性格が変わった。
というより、変わらざるをえなかった。
当時、プライドが高かった俺は何年もかけて学校でいじめられ続け、そのいじめられる原因が自分のプライドの高さだということに気づいてからは、プライドを捨て、人の話に耳を傾けるよう心がけたら次第にいじめられなくなり、周りに人が増えるようになった。
もしプライドを捨てていなかったら既に自殺しているか、今後はロクな人生ではなかったと思う。
つまり俺が今後生きぬくためには"プライドが高い性格"を"プライドが低い性格"に変えるしかなく、結果今は平和に暮らして満足している。
しかし、"プライドが低い性格"になったことで1つ問題点が生まれた。
行動力の低さである。
己を過小評価することで普通の人より損した人生を歩んでいることを少なからず自覚しており、それが悩みに直結していた。
ただし俺がこの悩みを解決しようとするならば、
損な役回りにならないためには?→プライドを高くする→周りから嫌われる
という結論になってしまい、周りから嫌われていじめられていた過去をもつ自分には少なからず抵抗が出てしまう。
しかし行動力をあげるために人から嫌われる必要は無いような気もする。
そこで矛盾をしている気もするが、
「自分を過大評価するがプライドが低い人間」
になることはできるのだろうか?
これは言い換えると「他人と接するときはプライド低い人間だが、本心は高いプライドが根づいている」という、まるで羊の皮を被った狼みたいな状態なのだろうか。
おそらくこれは、なれるにはなれるだろうけど、少なからずストレスがつきまとうことになると思う。
本心はプライドが高いのにプライドが低いふりをするジレンマとどう付き合い続けることが出来るのか?
話は変わるけど、例えば"優柔不断"の人間が"即断即決"になれるのだろうか?
レストランでいつも「あ〜ラーメンにしようかなぁ〜でもスパゲティを捨てがたいし〜ピザも食べたいな〜迷っちゃうな〜」って悩んでいる人が席に着くなり突然「ハンバーグ」みたいな。
もしこれを実現するためには、優柔不断の人はレストランに向かっている間に「今日の昼は何食べようかなぁ気分的には麺が3位でピザが2位で1位は肉かなぁ、肉といってもチキンじゃなくて…」とか考えておかないといけない。
俺の結論を言うなら、心で唱え続けるのが一番早いと思う。
いわゆる洗脳。
ただ碇シンジみたいに「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、…」と唱えるよりかは「行け!行け!…」というように、マイナスを押さえつけるよりプラスに言い直して唱えたほうが実現しやすい気がする。
休みの日はたくさん寝て時間を無駄に過ごして後悔するから、少しでも早く起きて休みの時間を有意義に使いたい性格になりたいなら、
布団から出られないときは「出ろ!時間が有意義に過ごせる!…」と実行するまで心の中で何度も唱え続ける。
勉強するなら「勉強しよう!絶対に自分のタメになる!…」と実行するまで心の中で何度も唱え続ける。
何十回でも、何百回でも。
次第にこの永遠に続く念仏がウザったくなった時にとる行動は2つ。
①実行する
②諦める
諦めたら、それはその人の性格には向いていないのかもしれない。
…
この理論、本当に合っているのか?
ちょっと明日からやってみるか。