俺の幸福論

結論から言うと幸せとは「驚くほどに短命」だと思う。

「幸せだと思う時」を世論調査(gooランキング)した結果、

・美味しいものを食べている時

・寝ている時

・恋人と一緒の時

・家族団らんの時

・趣味に没頭している時

・子どもと一緒の時間

・旅行している時

・ペットと遊んでいる時

・夫婦水入らずの時間

・お酒を飲んでいる時

・お風呂に入っている時

・感謝された時

・音楽を聴いている時

・スポーツをしている時

・ドライブしている時

・その他

 

等、さまざま挙げられているが、全ての項目の幸せは一過性のものに過ぎない。

例えば美味しいものを食べている時は、食べ終われば幸せではなくなり、寝ている時は起きれば幸せではなくなる、という方程式もできる。

例外になりそうなので家族・子ども・ペットと一緒にいる時が挙げられそうだが、これらもずっと一緒にいたら幸せだと思う感じは麻痺するし、生き物である以上永遠は約束できない。

幸せではなくなる事を不幸だとは言わないが、いずれにせよ幸せはその行動が終わった時に終わるものなのである。

 

たまに誰かが「幸せはそこら中にたくさんある」と言っているが、

もしそれが上記の項目の事を言っているのであれば、これらの項目を全部絶やさず続けることができればその人の言う幸せなのだろう。

 

では果たしてこれらの行動をずっと続けることができるのだろうか?

 

大量の金(最低でも億以上)を手に入れて仕事をしなければ良い。

 

大半の人間は「できることなら仕事はしたくない」と思っているだろうが、もし「仕事が楽しいし幸せ」と思っているなら仕事を辞める必要はない。

 

それでは本当に大量の金があれば全部絶やさず続けることができるか?というと、それはまた別問題な気がする。

いやできる人はできるんだろうけど、何も考えない生活に見えるというか、人生で何も残していないというか、味気ない人生というか、そんな人生に見える。

 

つまり、幸せな生活を送っていたとしても、それとは別に有意義な生活(働くとかボランティアとか)を送れば尚いいのかもしれない。

 

とはいえ、ここまでの話は全部大金があったらの話で、

逆に言えば大金が無かったら幸せではないのだろうか?

最初の方で喋った幸せな時ランキングの項目を全部絶やさず行えないという意味では、不幸かもしれない。

実際俺は大金を持っていないから幸せな時間よりも不幸の時間の方が多い人生だと思っている。

 

ひょっとすると大切なのは、幸せを手にいれることではなく、いかに不幸を回避するか?という点ではないだろうか。

大金が無い時点で既に不幸な気がするが…

不幸といえばストレス。

家族や親しい人との死別、家族や親しい人の病気や怪我、自分の病気や怪我、暴力、心身の過労、失業、嫌がらせ(ハラスメント)、妬み、嫉み、ご近所トラブル、離婚、収入の減少…

 

はたしてこの数多とあるストレス達からかいくぐって生き抜くことはできるのだろうか?