昔知り合いに「お前ってたまに難しい言葉使うよね」と言われたことがある。
少し心外だった。
なぜなら、自分にとっては難しいと思って使っていない言葉だからだ。
(だからどれが難しい言葉だったのかもわからない)
さらに昔、ある学生(確か小学校高学年か中学生)と会話をしていて「これって矛盾してるよね」って言ったら
「矛盾ってどういう意味?」と言われたことがある。
てっきりもう習ったかもと思って使ってみたけど、思えばこの感覚こそがみんなに共通しているのではないのだろうか?
例えば「19歳なんだから『犬も歩けば棒に当たる』は知っているだろう」という考えは完全な先入観であり、「いや19歳なんだから『犬も歩けば棒に当たる』ぐらい知ってるのが常識でしょ!」と主張する人はフォールス・コンセンサス効果(多くの人が自分と同じ意見を持ち同じように行動するだろうと考えやすい心理)と捉えられても否定することはできない。
なぜなら、その主張に反する人は確かに存在するのだから。
ちなみにこのテレビでは「常識でしょ!」と主張する人はいなかった。
とどのつまり、年齢や漢字のレベルに関係なく相手が言葉を知らなければそれは難しい言葉と同義なのではないかと思う。
今"とどのつまり"や"同義"という言葉を使ったが、この言葉は知らない人でもなんとなく意味がわかると思う。
しかしこの前テレビで「今"飛ぶ鳥を落とす勢い"で売れているあの○○が!」と女子アナが喋っていた。
おそらく裏で台本書いている人に言わされているんだろうけど、この言葉も世間では知っている人と知らない人で大きく分かれそうな言葉だと思う。
はたしてこの言葉を公共の電波で使うのはこの言葉を知らない人にとっては親切なのだろうか?
それともこの言葉は常用だから知らない方が恥ずかしいというメッセージを込めて使ったのか?
さらに(個人的に)もっと難しい言葉で"憂き身を窶(やつ)す"という言葉もある。
自分も最近勉強の過程で初めて知った言葉だし、この言葉を日常で使っている人を見たことも出会ったこともない。
それは単に自分の周りが語彙力低いからと言われればそれまでだし、
もちろんこの言葉を知っている人にとっては「うん、意味?知ってる知ってる、当たり前じゃん、知らない方が馬鹿だよ。いい歳なんだからもっと言葉を覚えた方がいいよ(笑)」
と思うのは至極当然のことである。
無知は恥ずかしいことかもしれない。
しかしこれから覚えればいいだけの話。
今覚えれば次は恥ずかしい思いをしない。
難しい漢字は存在しない。
境界線も無い。
前に心理学者のゆうきゆう先生が
「アホほど難しい言葉を使おうとする」と言っていたが、例えばだけど、
頭のいい大学を卒業している人達には遠慮なく使っていいと思う。
ただ、小学生とかまだ言葉を知らない人に使ったら流石にアホだと思う。
つまり、万人に聞かせる目的があるならもっと簡単な言葉を選んだ方がいい。
言葉を知らない人にはそれ相応の喋り方があるはずだから。
余談だけど、昔仕事の接客でおばあちゃんに「いたしかねます」って言ったら「は?」と言われたことがある。
その時はすぐに「できないです…」と言い直したら「あらそう、わかったわ、ありがとう」と言われた。
なんというか、日本語は難しい。