忙しい時間こそが人間の救済時間?

先月の日記に「暇は害」というのを書いた。

その時に辿り着けなかった答えにようやく辿り着けた気がした。

 

人間は暇になるとネガティブなことを考えやすい、というか、ネガティブなことを考える隙ができてしまう。

ネガティブなことというのは有り体にいえば大きく3つあって、

・将来の不安(結婚できるか、今後苦労しないで生きられるか、など)

・現状の不安(自分の生活環境の人間関係、など)

・過去の不安(過去の失敗、など)

あんまり良い例えがたくさん出てこないけど。

 

で、結局そんなことを考える隙を与えないために、暇とは逆の、つまり忙しくなることで解決するということであり、

もっとストレートに言えば、忙しい時間こそが人間の救済時間なのだ…

もちろんただ忙しくても意味なくて、例えば社会人だったら貯金が全くできない上に常に働いている状態のブラック企業だったらむしろ逆効果だし、

お金に少しでも余裕がありつつ、可能であれば欲なく生きるのがベストなんだけど、もし無理ならその欲がなんとか叶えられてる状況があっての忙しさ、がベストだと思う。

 

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」みたいな言葉が有名で、

この言葉を聞く人によってはポジティブにもネガティブにも捉えれるみたいだけど、

今回の目線で見るなら、

「欲なくずっと忙しい状態で死ねるなら、それはむしろ人間にとって最高に幸せな死に方なのではないか?」

と、思う。

人間に生きる理由は正直ない。

世間は自殺を軽蔑するが、死ぬのは自由だ。

でも死ぬのは怖いから基本的にできない。

でも欲無く死ぬことができればなんの不安も持たないまま死ぬことができる、そうすれば当然死ぬときに後悔もない。

幸せはずっと続かない、消耗品だ。

食べてる時は幸せでも、食べ終わったら幸せは終わる。

寝ている時は幸せでも、起きてしばらくすれば幸せな気持ちもなくなっている。

セックスしている最中は幸せでも、終わればその幸せの感覚も徐々に消えていく。

家族や、好きな人と結婚することが幸せでも、一緒に生活していれば好きな人の嫌な部分も見えてしまうし、ずっと生活が続けば慣れて幸せがなくなっている。別に不幸になったわけでもないのに。

人間は同じ幸せを永遠に持つことができない。

つまり、人間は死ぬまで幸せに生きることはできない。

「大好きな恋人と一緒にいて今すごい幸せです」と言ってこの世に生きている人全員が別れなかったら俺が悪いと認めやってもいい。

 

話が少し脱線してしまったが…つまり何が言いたいかというと、

人は「幸せじゃないなら不幸かもしれない」と考えやすい、ということ。

幸せを維持するためには、自分の好きなことを永遠に飽きずにやり続けるしかない。

そしてそれはほとんどの人間はできない。

好きなことが終わった時に襲いかかってくる寂しさ、虚しさがある。

そこから連結して「自分は不幸かもしれない」という考えに自動的にたぐり寄せられてしまう。

 

上記で書いた悲しい課程が全てカットされた絶対時間こそが「忙しい時間」。

逆にその時間しかないのである…。

今抱えている不安をチラ見する必要がないくらいに完全に1つのことに没頭している時間。

別に仕事じゃなくてもいい、ゲームとかでもいい。

ただ社会人になったら(睡眠・食事・入浴などを除いた)プライベートの時間よりも仕事の時間の方が圧倒的に長い人もいる。

だから仕事以外の忙しさをみつけるよりも、仕事に没頭した方がいい。

そしてできることなら、自分にとって集中しやすい仕事。

どんなに忙しくても仕事に集中できないと、仕事中に不安が押し寄せる可能性があるからだ。

 

仮にもし、逆に仕事に集中できるようになったとして、

仕事が終わったらどうするか?

 

もう俺にはわかりません…

まじでもうどうしたらいいんだよ…

誰か俺に永遠の忙しさを与えてくれ…