「幸せは消耗品」
この考え方は一貫して変わっていない
・美味しいものを食べる幸せ
・寝る幸せ
・性的欲求を満たす幸せ
などの、これらの(寿命は短い)たくさんの幸せ達を連続で消化していくことで幸せな生活を送ることができる、と自分は思っている
そして幸せを連続で満たすためにはたくさんのお金が必要だという考え方も変わっていない
それじゃあ、はたしてお金がたくさんあればあるほど幸せになれるのか?というと、そうとも限らない
いずれにしても、ただお金があるだけでは人間は幸せになれない
お金が無きゃ無いで幸せにはなれない
かといってお金があったらあったで幸せになれるわけでもない
幸せは永遠を保障しない、本当に奥が深くて面倒くさい存在だと思う
それじゃあ貧乏な人と裕福な人どっちが生活しやすいか?と言われれば、どう考えたって裕福な人だと思う
・満足にご飯が食べれない
・生活必需品が揃えられないほど困窮
・お金が無いことで苦労する場面が多い
・お金が無いから将来が不安
・借金している
お金が無い=生活しづらい=不幸、という方程式も自然に発生するのもわかる
というか、お金は幸せになるためのものではなく、あくまで豊かさだけしか取り繕わない
豊かな生活が送れている時点で幸せ、という考え方も出てくるかもしれないが
いくら豊かな生活が出来ていたとしても、別角度からの攻撃・悩み(いじめ、仲間はずれ、病気、DV、嫁姑問題、等)があったらもう幸せじゃない
結局のところ、やっぱりお金だけで完全な幸せは手に入らない
ここまでくると、よく童話の最後にある「こうして○○は王子様は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」という文章も適当な気がする
何を持って幸せだと言っていて、本当の幸せな生活をなんだと思っているのか?
最初の話に戻るが、王子様はお金をたくさん持っているから、美味しいもの食べたり、ひたすらゲームとかで遊んだり、セックスしたり、仕事しないで小さな幸せを無限に消費できるから、だろうか?
そもそも王子って仕事しているの?現代でいう政治家的なポジション?総理大臣、いや大統領の方か?
ちなみに「好きな人と今後一緒にずっと暮らせるから幸せ」なんていう無垢な乙女の答えなんて求めていない。
どうしても好きな相手に対し自分の理想を抱きやすく、一緒に過ごしていくうちに理想と現実がどんどん乖離し、最初の頃の興奮が落ち着き、「落ち着いてきた⇨好きじゃなくなった⇨冷めた」と錯覚し別れやすい傾向がある、というデータもある。
つまり、もし別れたくないと思っているなら「好きだから一緒にいる」と思うのではなく「一緒にいれるから一緒にいる」と思った方がむしろ続きやすい。
話が逸れてしまったが、
自分が思う現代人の幸せは、仕事などの忙しい生活の合間に"美味しいものを食べたり""好きなことをしたり"というそういった時間を幸せに感じるのではないか?
では逆に「仕事しないと幸せは手に入れることが出来ないのか?」と言われると、そうでもなく、
要するに暇な時間を一切作らずに生活を充実させることができるなら別に良いと思う。
心理学では逆に暇な時間が存在すると悩んだりしてストレスをためやすい。
限りなく暇な時間を減らし、かといってもちろん前進している充実した生活を送ることこそが幸せへの近道。
余談だが、お金がたくさん持っている男性と結婚しようと思っている女性(年収600万以上の人がいいとか言っている人)は不倫しやすい。
結局お金と結婚しているだけであって、お金がたくさんあるなら別にどんな男性だって構わない。
お金を持っている男性は普通に忙しい生活を送っているから、旦那が忙しくて居ない時間に不倫して別の男性で欲を補って解決。
ここまでは自分が思うお金と幸せの因果性を語った。
ここからはお金の距離感について本気で考えていきたい。
よく、昔と比べて「不況」と語られることが多い。
たしかに国民の所得は下がっている傾向にあるとニュースでよく見かけるし、昔は誰もが簡単に正社員になれたが、今はフリーターだって多い。
少子高齢化でまともに年金がもらえるとも限らない、自分たちがもらう年金は今の未来の子ども達が大人になって収める年金なのだから。
などなど。
こうして考えてみると、昔と比べてほとんどの国民がお金が無いせいでいろんな不安を抱えながら生きているようにも見える。
でははたして、本当に昔と比べて稼ぎにくくなっているのだろうか?
現代と不況を結びつけている時代はバブルの頃。
そりゃ当時に比べれば所得ははるかに減っている。
それでは、もっと昔はどうだったのだろうか?
明治・大正時代では一般人が大金を持つことなんてありえなかった。
だが今は一般人でも大金を手に入れるチャンスがたくさん存在する。
その理由として、昔は無くて今ある"インターネット"の存在がでかい。
昔は自分の手が届くとこだけしか商売できなかったのに一気に全国・世界を相手に仕事することができるようになり、さらに仕事のジャンルも幅広く、今では未成年でも企業したり、個人で仕事してたくさんの収入を得ている人も多い。
また、youtuberや個人投資家(億り人)なども現代だからこそ存在する。
つまり、稼ぎようはいくらでもあって、みんなやっていないだけ。
「やっていない」と「できない」では全く意味が違う。
面倒くさいから「どうせやってもできないからやっていない」と理由をつけているだけ。
それでは逆に、やれば絶対に儲かるか?といえば、そんな保証もない。
なぜなら人には向き不向きが存在するからだ。
例えばさっき言ったyoutuberは演技力・その人の魅力・話題性、いろんな能力が鍵になる。
個人投資家も精神力の問題が大きいが勝つ上で少なからず負けることもあるためギャンブル要素もある、つまりギャンブルをしない人(お金が減ることでストレスを覚える人)は向いていない。
でもやらないよりかははるかにマシ。
「どうせやってもできない」より「頑張ってやってみたけど自分には合わなかった」の方がはるかに得られるものも多い。
もちろんやらないで少ない所得のまま余生を過ごしてもいい。
ここからは少し前の日記でも書いたけど、果たして国民全員がお金持ちになったらどうなるか?
いろんなことが予測できるが、1つに国が汚くなる。
特殊清掃などの、需要があるけど誰もがやりたくない仕事(金稼ぎのために仕方なく働く仕事)を誰もやらなくなる。
(もちろん特殊清掃がやりたい人もいるかもしれないが…)
結局は国民に貧富の差が無いと国は維持できない。
自分は果たして金に困らない生活を送れるか?
それとも金に困る生活の方が向いているのか?
一般人でも大金を手にすることができる現代において、お金の価値はどんどん落ちている。
今一度、お金の価値を考えていきたい。
さもないと、このままではずっと本当の幸せは得られない。
絶対に。