「性格は変えられない」と言っている人

この人生で「性格は変えられない」と3人の人から言われた。

内2人は3個上の女性から、残り1人はドラゴン桜から(上の画像)。

 

本当に性格は変えられないのだろうか?

というか、自分は子どもの頃に比べるとかなり性格が変わった自信がある。

 

性格は大きく4つ(IorE、SorN、TorF、JorP)に分けられる。

例えば内向的な人間が外向的になることはあり得ないということだろうか?

だとしたら自分は昔は外向的だったけど今は内向的だし、

昔は直感的だったけど今は感覚的だし、

昔は感情的だったけど今は論理的だし。

 

結局自分は性格が変わった側の人間になる。

 

そんな自分から言わせてもらうと、「性格は変えられない」と言っている人は

「性格を変える気がない」人なのだ。

(性格は変わっていることに気づいていない可能性もあるけど)

 

そして性格を変える気がない人というのは、プライドが高い。

なぜなら、プライドのおかげで今の性格を誇示できているからだ。

逆にいうと、プライドのせいで柔軟な考えが持てずに性格が変えられない。

 

もっと言うと、性格が変わらない人は大なり小なり癖が強い。

例えば、ある文章を覚えてもらう際に「この文章を一字一句間違えずに覚えて」と言っても、

なぜか自分の都合が良いように勝手に脳内変換されるのかアレンジして覚えたりする。

そしてそれに対しての自信が高い、間違っていても直す努力もしない。

つまり、言われたことに対して言う通りにしないケースが多い。

社会では扱いづらい人間にカテゴライズされる。

典型的な"癖の強い人"である。

 

要約すると、「性格は変えられない」と言っている人は、

→性格を変える気がない人

→癖が強い人

→変わりたくない人

→変われない人

→努力しない人

 

という特徴がある。

無駄な事を頑張る意味

人生の中で、頑張っていたことが無駄に終わることはよくある事だと思う。

「無駄だ」と思う瞬間というのは、やはり結果的に叶わなかった時だと思う。

 

例えば、保育士を目指している人がいたとする。

学校で養護施設等のキツい実習を受けたり、たくさん勉強したりして、

やっとの思いで保育士になれたとしても、

もしその保育所を従業員の人間関係とかで辞めてしまって、

その後、保育士とは無縁の仕事に就いた人生を送ったとしたら、

 

はたして保育士になるために頑張ったあの時間は無駄だったのか?

 

人生とは、この「無駄な事を頑張る」連続だと思う。

 

逆に、「あっこれは無駄な事だ」と思った瞬間、人生は下降しやすい。

 

例えば、学校の勉強。

数学や歴史を習っても、

「二次関数なんて社会に出ても使わねぇよ」

「徳川将軍なんて全部覚えても社会じゃ役に立たねぇよ」

正直、この思いは正しい。

ただし、そう思ってしまうと、とたんに勉強する気が失せる。

テストの結果も当然よくない。

世の中は低学歴の人間ができる仕事は少なく生きづらい。

 

結局、生きやすくするためには(無駄な)勉強をするしかない。

 

もちろん逆に勉強が無駄じゃないケースもある。

教師や塾講師や家庭教師になって子どもたちに教えてあげることで無駄だと思われてた勉強を無駄に終わらせない事だってできる。

 

つまり、自分が勝手に無駄だと思っている事は、本当に無駄に終わるかどうかなんて、わからない、自分も、他人も。

 

仮に今やっている事が無駄に終わったとしても、また新しく別のことを始めればいい。

ひょっとしたら、過去にやってきた"無駄な事"が活かされて報われる時がいつかあるかもしれないから。

 

 

無駄な事を頑張る力。

生きていく上で絶対に必要な力だと思う。

 

 

だって、

死という最期のイベントの前では、生きる上で頑張ってきた全ての事は無駄に等しいのだから。

 

だから、「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉をなめてはいけない。

かといって嫌いになってもいけない。

 

死ぬまで頑張って生きてみるよ。

それが死の恐怖から逃れる唯一の術。

東京卍リベンジャーズを読んだ

元々、和久井先生を知っていて、

過去作の新宿スワンを全部読んでいたから、本作も気にはなっていた。

ただ自分は1回ハマるととことんハマる性格だから、時間をみつけるのが大変だった。

そして2日かけて全話(31巻)読んだ。

 

最初の方で「パーちんの友達の彼女がレ◯プされて…」って描写で青年誌感を感じた。

へぇ少年誌でもこういう描写をしていいんだ?と思った。

ただそういう描写がこれっきりだったから、結構本作を少年誌向けに作るのは苦労したなと思った。

 

最終回は普通にありだと思った。

というかハッピーエンドなら何でもよかった。

最初からファンタジーで始まっているから、自分の中ではタケミっちは最初の電車で死んでいて、その後(直人が助けた後)からは全部タケミっちの死後の世界だと思いながら読んでた。

だからもう死後の世界ぐらい好きに生きろと、死後の世界くらいハッピーエンドになれよ、と願う。

 

で、最後まで読むと「あぁこの漫画ってマイキーとタケミっちの2人が主人公だな」と思った。

タケミっちがマイキーを越えないところもよかった。

個人的には納得のいく作品だった。

 

推しはダントツで三ツ谷。

というかプライベートを犠牲にして頑張っている人は基本自分は推しになりやすい。

学校して、部活して、家事して、妹たちの面倒を見て、不良(しかも隊長)して、忙し過ぎだろ。

 

女だと千咒が好き。推しまではいかないけど。

 

 

ここまで語ってて、新宿スワンも、リベンジャーズも、好き?って言われると、首をかしげる

嫌いじゃなかったら最後まで読まないから多分好きなんだと思う。

ただ、個人的に暴力漫画ってあんまり好きじゃない。

これには理由が2つあって、

①痛みが伝わらないから

 当たり前だけど。

 つまり、痛々しい、と言うこと。

 自分の性格上、これを無視して楽しく見れない。

②次の日とかすぐ治っている

 入院したりするケースもあるけど、数ページ後には治っているとかよくある。

 で、重いやつだけ後遺症残したり。

 防具なしでボコボコに殴られているのに立てて元気だったり。

 ボコボコにされた次の日は軽い手当てだけで普通に歩いてたり。

 これが多すぎると命を軽んじている感じがしてあまり好きじゃない。

 

ただ読んでよかったとは思う。

少年誌だからか読んでて勇気をもらいやすい。

弱くても頑張れば変われるかもしれない、みたいな。

 

多少アレな描写は多いけど普通にオススメ。

スタバで作業する人イキっていないかもしれない説

過去に1回だけスタバでMacで作業したことがある。

前の職場で特大な量の宿題が出されて、行きの新幹線の中でも作業が間に合わず、

駅降りて本社に向かう途中にスタバがあって、出社しないといけない時間ギリギリまでスタバで粘って作業していたことがある。

(そしたら他のスタッフもみんなスタバで作業していた)

 

これは特例なんだけど。

 

ただたまにスタバで作業している人は見かける。

 

そんな折、ドラゴン桜でこんな記事をみつけた。

この拡散型の「①勉強する場所は気分で決めろ!」がよくわかる。

(自分も拡散型)

全然家で勉強する気が起きなくて図書館や飲食店やカラオケを探してきた。

今も作業するってなったらどっか行ってやることが多い。

 

ただ、ぶっちゃけスタバでなくてもいいとは思う。

あえてスタバ選んでいる人は少し意識高いかもしれないけど、

全員が全員そうじゃないかもしれない。

こだわりを持つと損をしやすい

別にこだわりを持つことは悪いことだとは思わない。

自分という存在を確立するためには必要なものだとも思う。

ただ、"こだわり"とは所詮、その人自身しか重要だと思っていなくて、他人からすればどうでもいい事の方が多い。

 

「絶対に運動はしない、家の中でずっと過ごすのが安全だし幸せだ」

「その買い方が得かもしれないけど、自分はこの買い方で買いたい」

「昔恋愛でトラウマがあった、二度と自分からは告白しない」

 

絶対に運動したり鍛えたほうが、老後寝たきりになりにくいし、

絶対にお得な買い方をした方がお得だし、

可能であればトラウマは克服した方がいい。

 

例を挙げだしたらキリがない。

 

損をしてまで生きる理由は、その人にとっては決して損ではない。

ただ、後々それが後悔になるぐらいなら、こだわりは絶対に捨てるべきだと思う。

今後絶対に後悔しない自信があるなら別ですが…ね。

幸せになる条件「夢を諦めること」

子どもの頃から

「夢を持とう」

「夢に向かって走ろう」

と教えられたような気がして育った私が人生で一番好きなディスニー映画「ズートピア」は、

最初から強烈な始まりだったことを今でも覚えている。

なぜなら、『夢を持つということは良くないこと』だという、まるでリアリストみたいなアドバイスを両親(スチュー&ボニー)は主人公(ジュディ)に言って説得していたのだ。

スチュー「ジュディ、パパとママがこんなに幸せなのはどうしてだと思う?」

ジュディ「なんで?」

スチュー「それはな、"夢を諦めたから"なんだ、なぁボニー?」

ボニー「えぇその通りよスチュー、そのおかげだわ」

スチュー「なぁ?多くを望まないことが大切だ、新しいことをすれば失敗もある」

〜中略〜

ボニー「夢を持つのはいいことよね!?」

スチュー「もちろん!望めば叶うと、思わなければな?」

 

もちろん夢が叶えば幸せになると思う。

ただし、その夢があまりにも壮大で自分の手に余るモノだとしたら?

『夢が叶わなければ不幸』と思うよりも、

『夢を諦めることで幸せになれる』選択肢を選ぶのもアリなのはわかる。

 

ただ、

夢を諦めることは、

それなりにストレスがかかる。

なんだったら『夢を諦めることが不幸』とも思いかねない。

 

でも幸せが本当にその先にあるとしたら?

幸せを手に入れるためにはリアリストにならなければいけないのか?

本当にそれを信じれる人しか手に入らない幸せ。

その幸せは本当に幸せなのか?

でも、それにしがみつくしかないのか?

 

いずれにしても、幸せは簡単には手に入らない。

確かなことは、

幸せを手に入れるためには、成長しなければいけない、ということ。

味音痴

この前山形行った

山形といえばジンギスカンと蕎麦が有名らしい、本当かどうかは知らない

そしてジンギスカンと蕎麦を山形で食べた

ジンギスカンと蕎麦は岩手でも食べたことがある

そのせいか、山形で食べてもさほど感動は無かった、美味かったけど

 

現地で食べれば気持ち的に美味しくなる可能性はある

でも自分は、山形で食べるジンギスカンと岩手で食うジンギスカンの違いがわからなかった

家で食う芋煮と外で食う芋煮だと外で食った方が美味いという錯覚に近いか?

突き詰めれば、肉の質や、焼き方が違う等、色々あるかもしれない

 

 

同じ理由で、宮城の牛タンと岩手で食べる牛タンの違いもわからない

これも質や焼き方が大きく違うとか?

 

ただその地域では有名というだけで、無理してそこで食べる必要はない気がする。

もちろん旅行先でマクドナルドやすき家とかサイゼリヤとかは行かない。

どうせ岩手でいつでも食べれるものを旅行先でまで食べようとは思わない。

ただ、「せっかくだからご当地で有名なグルメでも食うか」みたいな発想になるだけで、

それ以上の感動は求めてはいけない、自分みたいな味音痴は。

 

美味しかったらラッキー、ぐらいが丁度いい。