向いている人、向いていない人

給料が安いと"=誰でもできる仕事"というイメージがつきやすい。

給料が安い仕事の1つに介護がある。

じゃあ介護は誰でもできる仕事なのか?と言われれば、実際はそうでもない。

 

知り合いで大人しい人がいて、

具体的に言えばその人は大きな声が出せない人で、

仕事を探している時期に頑張ってハローワークの介護の講習を受け、卒業をして、介護の職場の面接に行って言われた言葉が、

「ご年配の方に大きな声を出さないといけないケースがあるから、あなたはちょっと…」

と断られたことがあったらしい。

やはり年配にもなれば耳が遠い人だっているだろうから介護にとって声の大きさは重要な要素ではあるんだろうけど、

いずれにしてもその知り合いは絶対に介護関係の仕事に就職することはできなかった。

 

ではそんな知り合いにはたして天職は存在するのかといえば、あるわけで。

小さい頃からプラモデル等を作るのが好きだったからか、彼は今でも工場で働いている。

そして彼は工場以外で働ける気がしないとも語った。

俺も学生の頃に工場で短期のアルバイトをしたことがあったけど、無理だと思った。

俺には誰とも話しない工場よりも、誰かとお話しができる接客業の方が楽しいと思った。

事実、俺は俺で接客業に10年以上従事しているし、

その知り合いも工場勤務に20年以上従事している。

 

また、さらに別の知り合いはマネジメント(管理)能力が全くない。

(社会では従業員の管理をマネジメントと言うことが多いけど、使い方が間違っていなければこれから言う話もマネジメント能力だと思う)

その知り合いは料理が得意だけど、逆に言えば料理以外は全くダメ。

その得意な料理の食材の賞味期限切れや消費期限切れをしょっちゅう起こす。

そしてそれ以外の"やるべき事(料理以外の家事(掃除・洗濯・整理整頓・等)・お金の管理・自身の体の管理・学習能力・等)"も全くできない。

でも料理はできる。当然俺以上に。

 

別に「向いていないことを少しでもできるように(向いているように)頑張ろう、やってみないと自分に向いているかどうかなんてわからないから」とは言わない。

なぜなら、向いていないことはどんなに頑張っても向いていないからで、その理由は上記で知り合いを例に語った。

向いていないことはどんなに頑張って無理だし、それでも頑張る間は下手したら鬱病になるほどのストレスだということを俺自身が身をもって知っている。

 

例えば、ずっと頑張っている従業員が100人いる会社があったとして、その100人が全員会社に向いているかと言われれば、そんなことはないはず。

もし従業員全員がその会社に向いているのだとしたら、その会社の人事部(もしくは面接担当)の審美眼がすごいのか、最高の従業員の育て方をして全員を仕事に向いている人間にできるすげぇ人がいるのかのどっちかだと思う。

いずれにしても、そんな事はほとんどの会社じゃありえないから、会社の仕事の中でも向いていない所は別の人に任せて、自分が向いている所を誰よりも頑張って会社に貢献するのが本来のベストな形だとも思う。

 

何が言いたいかというと、会社だろうがプライベートだろうが、他人に向いていない事を強要してはいけない。

なぜなら、その後ちゃんと歯車が回るかといえばそんなことはありえないからだ。

 

歯車の形はどの人間も違うんだから、

相手の歯車の形をしっかり把握して、

お互いの短所をお互いの長所で補い合ってはじめて歯車が回るのである。

 

きっとね。