暇は害

去年(2019年)の11月に日記で、

「時間を無駄に過ごすことがストレス」

と書いたけど、あれは多分正しくは

「暇自体がストレス」

だったんだと思う。

 

堀江貴文も言っていたけど、人間暇だとロクな考えをしない。

どうしてもネガティブな考えがよぎってしまう、例えば、誰かを恨むとか、過去を悔やむとか。

彼(堀江貴文)の場合は、死への恐怖、らしい。

「なにかに没入することで、死を遠ざける。死について考える時間を、可能な限り減らしていく。僕は死を忘れるために働き、死を忘れるために全力試走し、死を打ち消すために生を充実させていたのだ。」

と何かの著書で語っている。

確かに忙しい時はネガティブな考えはよぎらない、というか、よぎっている暇がない。

 

例えば海をぼーっと眺めるのが退屈ではない人は、実は暇じゃない。

その行為がその人にとって退屈な行為であれば暇でストレスになるが、

退屈じゃないということは、ぼーっと眺めることはその人にとっては重要な行為なのである。

(おそらくその行為で日頃のストレスが癒されるとか、別の考え事をしているとか)

 

暇になる

ネガティブなことがよぎる

ネガティブな考えにならないために何かしたい(これが暇つぶししたい心理)

このタイミングでスポーツとか勉強とか自分のためになることをすればいいのに、スマホを眺めたりゲームしたりして貴重な時間を潰してしまう(こっちの方が手軽に暇をつぶせるから)

 

しかし結局この後襲いかかるのが後悔。

「なんか1日中スマホいじったりゲームしたりして無駄な1日を過ごしてしまった…」

 

このサイクルをあと何回やれば抜け出せる?

いつになったら学習する?

意外と需要が減らないマンガ業界

理由は色々あると思うけど、俺が考えるマンガ業界の需要が続く理由に、

①ネットの普及

②衰退しないストレス社会

の、大きく2つの理由があると思う。

 

①のおかげで自分の描いた漫画が全国・世界の人たちに見てもらいやすくなり、さらに読者からの評価も得やすくなった。

俺が小さい頃でネットが流行っていなかった時に漫画家になろうとするためには、

・雑誌業界(例えば週間少年ジャンプ)に自分の描いたアナログ漫画を持ち込む

・(世評関わらず)担当が面白いと思ったら一緒に頑張ろう、面白くなかったら出直せ

・(担当がOKと言っても週刊少年ジャンプに合わない作風だったらNGにもなる)

で、ようやく漫画家になれた。そして仮に漫画家になれたとしても、

(例えば週刊少年ジャンプの場合)

・読者アンケートで人気にならなければ打ち切り(アンケートハガキを送らない読者の声は一切聞かない)

・毎週襲ってくる〆切り

集英社からの連載終了させないプレッシャー

・自分が好きなように描けないストレス

・基本アナログ(デジタルの方が作業が早い上に修正もしやすい)

・人気が出れば高収入だけど金を使う暇がないから使い道は豪邸ぐらい

と、あまり漫画家に対して憧れはしたけど、すごくなりたいとも思わなかったし、絵は上手くないし、どうしても丸ペンGペンが使いこなせなくて諦めた

 

でも今はパソコンの普及でパソコンで絵が描ける時代になったし、ネットの普及でpixivなどのサイトに公開して世評を得やすくなる。

これで今まで雑誌業界のハズレの担当に「ダメだ」と突っぱねられても、ガチで誰も守ってくれない自分のセンスだけで戦う事ができるようになる。

もちろん苦労はあるだろうが、今までの雑誌業界に持ち込みする人生に比べれば遥かに華がある。

一方雑誌業界はどんどん売り上げが下がり続けている(例えば週刊少年ジャンプは2009年当時約1132万部発行していたのに2019年には約657万部)

こうなってくるともはや雑誌業界の担当たちはネットで人気もしくは話題になっている漫画家達を引っ張ろうとしてくる。

なぜならば、すでに人気で話題という世評があるからだ。

今までの持ち込みで来ていた漫画家の卵たちを、本当に磨けば光る原石なのか、ただの石ころなのか、いちいち精査する必要がない、既に証明された宝石なんだ。

そして実際にネットで好きに漫画を描いていたら雑誌業界から声をかけられてそっちで連載したり、ネットで好きに載せていた漫画がそのまま本として出版されるようになったり、アニメ化・ドラマ化・映画化も珍しくない。俗にいう番組販売だ。

つまり、アニメ業界・テレビ業界・映画業界の人たちもネットで探しているという事実でもある。

 

 

②つ目の理由、衰退しないストレス社会。

これはもう説明の必要もないだろう。

人間はそんなに強くない。むしろ弱い生き物だ。時には気軽に漫画でも読んで現実逃避だってしたい。

そうなってくると、タダで読める一部のネットの漫画は気軽に読めてうってつけだ。

手軽に読んだ漫画が面白かったら評価すればいいし、

そんな人たちがたくさんいれば話題になって本にもなる、アニメ化・ドラマ化・映画化も夢じゃない。

 

 

ここまで話していて結局何が言いたいかというと、

昔と比べて漫画家になる夢は今の方が遥かに追いやすいという事。

だから昔漫画家の夢を諦めた人は、今改めて追ってみるのもいいかもしれない。

 

 

まぁ、俺みたいに絵が描けない人にとっては漫画家という夢への挑戦権すらないんだけど。

普通に生きる事さえ大変だった

子供の頃は、

大人になったら普通に働いて、

結婚して、

家を買って、

子供を作って、

こういう生活が普通で、またこれが幸せだと思っていた。

(前にも日記で似たようなこと書いたけど…)

 

未だに俺は3つとも達成していないが、

お金さえあればせめて家だけは買えると思い、また死ぬまでに家を買おうと夢見て俺は実家を出た。

今俺はアパートに住みながら、どんどん家賃で貯金を減らしながら生きている。

そりゃ実家暮らしの方が金は貯まるかもしれないけど、

ずっと実家暮らしをする事は俺には無理だった。

理由は色々あるけれど、そのうちの1つに「子は実家を出て暮らすもの」という、なんか昔ながらの考えも引きずっていた。

 

昔と今では時代が全然違う。

昔叶えることができたことも今では難しくなっている、それはわかる。

でも俺が子供の頃に見てた光景は昔の光景だからこういう夢も持ちたくなるし、

そして実際に結婚して家を買って子供を作っている俺の同世代・年下も少なからずいるわけで、

 

そりゃ劣等感だって持つよ

そんな事を考えないだけでもどれだけ楽に生きれるのだろうか?

普通の生き方ってなんなのだろうか?

そしてこれからはどんな生き方が普通になるのだろうか?

死生観

前に言ったか忘れたけど、

「働く理由は生きるためで、生きる理由は死にたくないから」

これが俺の死生観である。

もっと簡単に言えば、仕方なく生きている。

 

ただ、死にたくないならどんな仕事もできるかと言われれば、できない。

それこそ前の記事で「誰もやりたくない仕事(特殊清掃とか、汲み取り屋とか)」を書いたけど、これらはできることならやりたくない。

ではもし世界に特殊清掃と汲み取り屋しか求人が残っていなくて、これをやらないと生きていけないとしたら…?

はじめのうちはやるかもしれないけど、自分に合わないと思ったら無理に続けないで死を選ぶと思う、そんな程度の「死にたくない」生きる理由。

だから特殊清掃や汲み取り屋みたいな、俺にはできない仕事をしている人達は純粋に尊敬する。

 

 

もし国民全員が大金を手に入れたら

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上のがただのネタなのはわかっているが、

たまに「国民全員が大金を持っていたらどうなるか?」と、ふと思う。

間違いなく金の価値は一気に下がる。

別に日本銀行は潰れないと思うから純粋に物価が上がる。

 

労働意欲は間違いなく低下する。

コンビニあたりの「金を貰うために働いている」仕事からみんな辞めていく。

なぜなら既に働く必要がないぐらい金を持っているのだから。

そしたら誰が食べ物を売ってくれるのだろうか?

自分たちで農家に行って直接金を渡すのだろうか?

別に自分たちで農家に行く交通費はあるからいいのか。

農家の人達も辞める可能性は?

水道・ガス・電気会社で働いている人達も辞める。

ライフラインが止まる。

誰か水道・ガス・電気を動かせよ!

水道・ガス・電気で働いていた人が渋々動かす。

みんな家を建てる。大工や資材は足りるのか?

そして誰もやりたくない仕事をやる人がいなくなる(例えば特殊清掃とか汲み取り屋とか)。

日本はどんどん汚れていくだろう。

 

大金とまでは言わないが、ベーシック・インカムを導入した時も同じ問題が考えられる。

残念だけど、国民に貧富の差があってようやく国は成り立つのかもしれない。

子は三界(さんがい)の首枷(くびかぜ)

という言葉がある。

意味は「子への愛情のために親は一生自由な行動を取れず苦労すること」

という意味である。

 

子育てが大変なのはわかる。

強いては、その大変さから開放されたい気持ちもわかる。

でも、自分に子どもができるということは子は三界の首枷なんではないか?とも思う。

 

そして結構「子どもが大きくなったら家を出て行って欲しい」と言う親をよく見るけど、

昔と違って子どもが実家を出やすい時代じゃないんだから、出なきゃ出ないで様子を見てあげて欲しい。

できることなら子どもが自発的に家を出たいと思うように育ててあげて欲しい、虐待とかのマイナス面で家を出たいと思わせるのではなくて。

 

そして計画的ではない子作りはあまりしないで欲しい。

例えばできちゃった婚とか。

ぶっちゃけ他人のできちゃった婚は興味ないんだけど、できちゃった婚の愚痴は聞きたくない。「もっと若いうちに遊びたかった」とか。

いや、お前が避妊しなかったからか、相手がゴムに穴を開けたからか、お前のセックスが下手だから子どもができたんだろ?と。

 

責任が無い人はどうしても好きになれない。

巧遅(こうち)は拙速(せっそく)にしかず

という言葉がある。

意味は「仕事が上手でも遅いのは、下手でも速いのには及ばない」

という意味である。

 

自分は前者の人間で、後者の人間を嫌う傾向がある。

理由は2つあって、1つ目が、

仕事が下手だと、例えどんなに速くても結果的に時間は遅いか変わらないと思っている。

つまり、その人自身は早いんだろうけど、その人がこぼしまくっているミスは結局は他の人達がフォローしていて、トータルで見れば時間の損失分は変わらないと思う。つまり意味がない。

 

当たり前だけど「仕事が上手で早い」方が良い。

そしてなんの根拠もないが、将来的に仕事が速くなる可能性があるのは前者だと思うのが2つ目の理由。

後者は「どうせ自分がミスしても他人がフォローしてくれるし、そのための他人でしょ?」という考えが根づきやすい。ていうか前の職場にそんな人種がチラホラといた。

前者が遅い理由は速くするコツを知らないだけ。

そのコツさえ掴めば、仕事が上手で速い人間が誕生する。

 

と思っているのだけど、どうだろう?

異論があったら聞いてみたい。