ワニ

なんでだろう、すごいモヤモヤする。

最終的に「100日後に死ぬワニ」は書籍化され映画化されて作者は万々歳だと思うけど、テレビやメディアに報じられて、作者もインタビューに出たりスタジオに来たりして、世間の目の注目を浴び過ぎててあまりにも評価されすぎな気がする。

イデアは良いけどストーリー自体は陳腐なものだっだから個人的には静かに評価されて欲しかった。誤植も多いし。

 

…でもあそこまで愛されるキャラクターも珍しいというか。

読者だけがワニが死ぬのをわかっていたから愛されていたのだろうか?

それはそれで非情な気もする。

逆に言えば近い将来死ぬかわからないならおそらくあそこまで愛されない。

それは日々命の大切さを知らない証拠でもある。

 

つまり、突然死が来たら後悔してしまう人が愛する漫画だと思う。

俺は…たしかに死ぬのは怖いけど、正直いつでも死んでいいぐらいに日々後悔して生きていない。

だからかもしれない…このワニの話を陳腐だと感じてしまったのは。

 

追記(2020/3/23):

どうもあまりに評価されすぎている読みは当たったみたいで

どうやら電通という会社と電通に関わっている会社とで4コマ投稿中にいろいろと打ち合わせをしていたらしい。

でないと100日終わった瞬間に書籍化ー映画化ーなんてスムーズに言えるわけがないわなぁ

あとストーリーが筆者の体験談だそうで、陳腐だと思って申し訳ない

心が満たされない、不安が消えない

 

例えば、休みの日が来たら「勉強しよう」とか「ジョギングとかして体を鍛えよう」とか思っていても、実際に休みの日になったらスマホでゲームをしたりyoutubeを見たりして現実逃避をしてしまうこと。

他の人たちにも身に覚えがあると思うし、俺が子どもの頃からの永遠の悩みでもある。

 

いい加減この問題を打破したい、この問題と30年以上も付き合っているのは疲れるし馬鹿げている、一体どうすればいいんだ?

 

素直に考えると、結局「勉強はしたくない」し、「体は鍛えたくない」のが本音なんだと思う。面倒くさいから。

生涯努力したくない、めちゃくちゃ豪華な生活は送れなくていい、けどホームレスみたいな貧窮な生活も送りたくない、つまり平々凡々な生活を送りたい、というか晴耕雨読みたいな生活を送って、死ぬときがきたら死ねばいい。

 

そんなことを考えている俺は傲慢なのか?最高じゃないか。

 

平々凡々な生活ってなんだろう?

ホームレスみたいな貧窮な生活をしないために勉強は避けられないし、

体を鍛えなければ歳を取るにつれて手足が動かなくなって介護が必要な体になってしまう。

つまり、平々凡々な生活を送るためには勉強したり体を鍛える必要がある。

 

もしそこまで理解していてもなお、勉強したり体を鍛えることをしなかったら?

それはつまり平々凡々な生活すらも送れなくても良いということになる。

かといってホームレスみたいな貧窮な生活も送りたくない。

これはわがままなのか?

ホームレスみたいな貧窮な生活を送るぐらいなら死んだ方がマシなのか?

 

努力については"はじめの一歩"の鴨川の言葉が今でも名言として語り継がれている気がする。

「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる。」

これを聞いても努力ができないならその先に待っているのは飢餓と孤独が織りなす緩やかな死だけだろう。

 

ゲームをしていたり、youtubeとかでいろんな動画を見ていても心は満たされない。

「こんなことをやっていたらダメなのに…」

ダメだとわかっていても立ち上がることができない。

ゲームをしていたり、youtubeとかでいろんな動画を見ていても不安は消えない。

「勉強をしていない、努力もしていない、なのにこんなにだらけていて、俺の未来はどうなってしまうんだろう…」

冷静に見て「いや努力しろよ」と思える状態なのに立ち上がることができない。

 

努力について他にもこんな言葉がある。

「努力は夢中に勝てない。努力をしている時点で向いてないってこと。」

いっそ努力に対して考え方を変えてみるのも良いかもしれない。

よく東大や京大のような有名大学に行った人たちに「どうやって勉強したの?」と聞くと、「勉強をゲーム感覚でやっていた」と言う人たちも多いという。

ゲーム感覚で楽しく勉強、楽しく体を鍛えることができたら苦痛もないだろう。

ネットで調べると上記の『努力は夢中に〜』という言葉は「呪詛だ、好きじゃない。」という人のペーシが最初に出てきて「努力も苦手で、好きなことも見つかってない人を殺す言葉」みたいなニュアンスで書かれている。

ただ個人的に思う、好きなことがないなら探せば良いのではないか?と。

挙げていけばキリがないが、俺はいろんなジャンルの趣味に手を出してきた。

多趣味は無趣味と言われることもあるが、自分が一番合っている趣味はなんだろう?とひたすら探していた時期がある。

人間は不思議なもので、世間ですごい人気なことが自分には合わなくて、逆にそんなに世間で注目を浴びていないものが自分に合っていたり、まさに十人十色だ。

好きなことがないのは、まだ好きなことに出会えていないだけ、という可能性もある。

はたして好きなことに出会うための行動はしたのか?

いくら努力が苦手な人も、好きなことを夢中でやっている間は苦手じゃないと思う。

 

話が少しそれたけど、ここまでの話をまとめるならば

 

・ホームレスみたいな貧窮な生活を送りたくないなら勉強や体を鍛える等の努力をしよう

・やらなければいけない嫌なこと(勉強や体を鍛える等)をゲーム感覚でやってみよう

 

明日からはじめたら永遠にはじまらない。

今日からはじめよう。

今日がんばり始めた者にのみ明日が来るんだよ…

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ケアの倫理

たまたま昔のマツコ&有吉の怒り新党を見ていて、

「『女性が強くなった・女性の時代』という一般女性に腹が立つ」という男性の投稿が目に入った。

また、「女性の立場は強くなりましたが現実は強くなったのではなく、気分を損ねると面倒なので男性が気を使っている結果だと思います。何かすればパワハラ・セクハラと本当に面倒です。」とも語っていた。

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これを機に居丈高(いたけだか)な女性が増えて小さくなる男性も存在する一方で、相変わらず居丈高な男性とそれに怯えて小さくなる女性もいる。

有吉は男性側、マツコは女性側として意見に立っていたが、

常々思うのが、双方円満に解決する方法(ケアの倫理)は無いのか?と思う。

男女の心の仕組みが違う以上もしそれが100%叶わないとしても、限りなくそれに近づくことはできるのではないのか?と思う。

個人的にはその代替案として、男女共に以下の3つを守れと言いたい。

①感情は絶対抑える

②言葉遣いは絶対敬語(立場が上下あっても)

③態度は絶対厳粛

まぁ人間である以上そんなことは100%無理なんだけどさ…

 

 

今身近な社会問題として「アルバイトが社員の言うことを聞かない」というのがあるんだけど、これも上記の男女問題に似ていると思う。

社員の方が立場が上で、さらに感情的な人間が多い。もはやアルバイトに言うのはお願い事ではなく命令。社員が立場を武器に嵩(かさ)にかかって攻め立てて屈服させようとするならそれはアルバイトだって面白く無い。

 

はたしてこの職場で「社員とアルバイト両方が円満に解決する策」を考えたことがある奴はいるのか?

「なぜアルバイトが社員の言うことを聞かない」のか真剣に考えたことがある奴はいるのか?

いないのも問題だし、考えても答えがみつからないのも問題である。

 

まぁこれの解決案も存在はするけど、簡単に言えば上記の男女問題で言った3つの奴。

もっと細かく言えばたくさんあるけど面倒くさいからこれ以上書きたくない。

 

本当、いつの世も仕事が出来ない人はたくさんいるなぁ…

 

という、愚痴でした。

ストレスを求める瞬間

死ぬまでいなし続けていきたいと思っていたストレスに自ら突っ込んでいっている節がある。

 

それが僕の場合、ぷよぷよ(歴27年)と麻雀(歴20年)だった。

こんだけ長くやっていればかなり上達して、今では楽にストレスなくプレイしているかと思いきや、この2つだけは今プレイしてもストレスが発生している、理由はもちろん今でも負けることがあるから。

この2つのゲームの共通点に「絶対勝てるとは限らないゲーム性」があるからだと思う、少し性格は違うけど。

(もちろん2つとも僕が下手糞だからという可能性もあるが、ぷよぷよぷよぷよフィーバーというルールで県1位、麻雀はオンラインゲームの段位で10段超えている。)

勝てば気持ちいい、その快楽をまた味わいたいから続けて、負けたら負けたストレスで「次は負けない!」と思い悔しくて続ける。結果ダラダラと20年以上もやってしまう。

これがもし例えば他にドラクエとかだと、ドラクエはLvが上がりまくればストレスなく敵を倒すことができるため、プレイし続けるほど刺激が弱くなって最終的に飽きる。

ほとんどのゲームは極めるほど辿り着くことができるゴールが存在する為、そのゴールに近づけば近づくほどゲームから離れる可能性が上がっていく。

 

ひょっとすると他のことでも言えるかもしれない。

例えば仕事でも、もしゴールが存在したとして、そのゴールに向かって極め続けた境地は「つまらない」だと思う。

ただし仕事はどんなに正しくこなしたとしても時々ストレスが出る、例えば謎の客によるクレームとか。

それらで生じるストレスを時々浴びることで「つまらない」と思わせないようになっている。

もちろんストレスを浴びれば浴びるほど仕事を辞めたくなる。

ストレスの浴びすぎは良くない、かといってストレスを浴びすぎないのもマイナス、ということになる。

誠に不本意ではあるが、このままでは適度にストレスを浴びた方が長続きすることが証明されてしまう。

 

仮にストレスを浴びている割合が全人類同じだったとしても、それをストレスだと受け取るのは人間それぞれである。

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絵:夏ノ瀬いの先生

例えば10人中6人がストレスだと感じる事案があった時、逆に言えば4人がストレスだと感じていないわけだから、この6人に4人の意見を聞かせれば納得して今後ストレスだと思わなくなる可能性がある。(もちろん逆のことをすればストレス感じなかった4人が今後その事案に対してストレスを感じる可能性もある)

ただし10人中9・10人(大多数)が感じるストレスが存在する、これはおそらく避けられないストレスだから無理に回避しようと考えず受け入れる。

そしてこの行動が正しいということになる。

 

まず自分が(できれば死ぬまでいなしていきたい)ストレスを実は求めていたことを自覚しなければいけない。

このメカニズムを理解した上で"断ち切ることが自分にとって間違いなくプラスになる"という確信を持てば確実に辞めれることができるのだろう。

人が続けることができる理由であると同時に、辞めたいのに辞められない理由でもある。

ストレスとの接し方で鬱になる人がいれば、前向きに頑張れる人もいれば、中毒症状を起こす人もいる。

 

不思議な存在、ストレス。

英語力を高めたい理由

正直あんまり映画は見ないんだけど

洋画を見ているときに字幕と映像を交互に見るのが面倒だと思った

 

当たり前だけど英語がわかっていればこんな動作をすることなく最初からずっと映像を見ることに専念できる

英語を理解していない人が洋画を見るためには「吹替版」か「字幕版」を見るしかないわけだけど、

「吹替版」は完全な洋画ではない、まぁ英語を理解していない人に完全な洋画を見る資格は無いってことだ

それでも限りなく完全な洋画を見たいという人のために「字幕版」が存在する

ただし字幕の内容次第では映像を見る暇を与えない

もし字幕が表示されている間に映像を見るためには、映画の登場人物が字幕のセリフを喋り終える前に字幕の内容を理解すること、時間がもったいない

 

洋画以外にも外国人を話せるというメリットもあるかもしれないが、むしろ俺からしてみればこっちのほうが無い

前の職場で外国人と英語で話をするケースも無かったわけではないけれど、職場が変わった以上もう外国人と話することも無くなっている

 

だから俺がもし英語を学ぶとするならば、英会話というよりも、リスニング

 

ただし言葉を覚えていないといくらリスニングしても意味がない気がする

アラフォーになるための進捗 その1

①アプリゲームは少しずつ減らしていく

今1個しかやっていない

3月から0個になる可能性あり

 

②国語辞典を読んで語彙力を高める

現在300ページ、残り1300ページ

ただし3月から進捗は遅くなる

 

③英語辞典を読んで英語力向上を図る

英語辞書をまだ買っていない、とりあえず②が終わってからでもいい気がする

 

④服の5割をスーツにする(残り5割は私服・部屋着・ジャージ・パジャマ・等)

柄シャツと靴は買って、私服のほとんどを売ったり捨てた

後はスーツのみ、できればウォッシャブルスーツがいい

 

残り2年と1ヶ月

麻雀を辞めたい

タイトル見た人は「勝手に辞めろよ!」と思うかもしれないが、

麻雀の依存性が半端ない。

 

自分の麻雀歴は、ぷよぷよ歴(27年)とスピッツファン歴(24年)に次いだ20年であり、いつのまにか自分が人生で培ってきたもののベスト3におそらく入っている。この3つ以外に人生を注いだものは無いと思うぐらい。

ただ、正直麻雀から何を学び・何を得たのか?と言われると、なんにも出てこない。

20年間麻雀打っていたから相当強いかと言われるとそんな自信もない、なぜなら今でも普通に負ける事があるからである、というか麻雀ほどどんなに極めても100%勝てないゲームは無いと思う。

オンライン麻雀(段位があるタイプ)で自分よりも強い人に勝つこともあれば、自分よりも弱い人に負けることもある。

その100%勝てないゲームに対してできることと言えば「限りなく勝てる可能性が高い"自分の脳内でシミュレーションしたやり方"を実際に正解かどうか試す」所作だけであり、その上正解が無いから永遠にそれを繰り返す所作でもあると思う。

 

つまり、どんなに考えてもキリがない、ということ。

考えるのが楽しいならそれも良いかもしれないが、いつまでも答えのでないことに考え続けるほど暇でもない、他にやるべきことはたくさんある、と思うのだ。

ぶっちゃけぷよぷよもそれに近い、だからぷよぷよは現在辞めている。

 

しかし、麻雀はなぜか今でも手が伸びてしまうのだ。

なぜ?

中毒なのか?

たまに大きな点が取れる快感を求めているのか?

麻雀した後の後悔がぷよぷよした後よりも少ないからか?

その答えがみつからない限り俺が麻雀から足を洗う(?)ことは無理な気がする。

いや麻雀は悪業だよ、他に優先順位の高いやるべき事はたくさんあるのにそれらを全部押さえつけて一番上に突然君臨し出すから厄介以外の何者でも無い。

 

いっそ麻雀をアプリを消して…

でもせっかく10段超えたし…段位と戦績が消えるのがすこぶる勿体無い気がするというか…