「好き」と「依存」の違い

イラストレーターの世紀末さんのブログを読んでいたら表題をテーマにした4コマがあった。

(4コマは転載不可なので割愛します)

 

世紀末さんがいつもお願いしている理容師さんが、

「てか最近よく考えることあってさ、好きと依存の違い。」

と言ってた4コマなんだけど、

それを見た俺は違和感を感じた。

そもそも「好き」と「依存」は別物なんじゃないか?と。

 

昔知り合いに「パートナーは好きじゃないけど、私がパートナーに依存している」女性がいて、

聞く人によっては矛盾しているように思われそうな言葉だけど、

簡単に言えば、「パートナーからされる行為(暴力やセックス)は嫌だけど、パートナーの言ってることは正しいと思う」と思いこんでいる人で、

もっと簡単に言えば、パートナーに洗脳されていた。

 

そして俺も親に洗脳されている。

(昔よりは減ってきたけど)俺の行動に対して批判したり命令したりすることが多かった。

自分のやりたいことがあまりできないように思えて、ストレスだった。

だから俺は親があんまり好きじゃない。

だけど、なぜか、親の批判や命令にそむくと、親の言う通りに行動しなかった申し訳なさから罪悪感を覚えて、

それがすごい洗脳されているように感じて、怖くて俺は成人したら家を飛び出してアパート暮らしを始めた。

でも結果は手遅れで、家を出た後もその罪悪感は残っていて、たまに実家に帰ってはその罪悪感を親孝行という形で償っている。

…この行動が本当に親孝行したい気持ちから来ているのか、偽善なのかが、今でもわかっていない。

 

結論を言うと、好きだから依存をするとは限らない。

依存しやすい人は、自分に自信が無い人が多くて、そんな自分の存在を認めてくれる人を探す行為な気がする。

好きは…前の日記でも言ったけど、やっぱりドキドキして苦しいことなんだよなぁ…俺の場合。

好きって感情は一生保証されなくて、嫌いにはならずともいずれ慣れて無くなる感情だと思っているし。

ただ、依存は抜け出しにくい、最悪病院行かないといけなかったりするし。

 

一番いいのは自分に自信を持つことだと思うけどね…

難しいんだよなぁこれが…